「蝋燭の贈り物」
《蝋燭(ろうそく)》は野十郎のトレードマークとなる作品で、生涯を通じて描き続けた主題です。蝋燭といえば、西洋ではヴァニタス画の一主題として知られていますが、その場合は、絵のモチーフのひとつとして画面の一部に描かれるのに対し、野十郎の蝋燭は、蝋燭そのものを描いていること、もっといえば、蝋燭以外には何も描かないという点に大きな特徴があります。また野十郎の蝋燭は、ほとんどがサムホール(約25×16cm)という極めて小さなサイズで、その中心に一本の蝋燭が描かれるというのが基本的な形式です。現在40点以上の作例が知られる蝋燭ですが、ひとつとして同じものはなく、炎の輝きや軸の太さや長さが異なり、それぞれが個性ある独特の雰囲気を持っています。
野十郎は《蝋燭》を生涯にわたって描き続けながらも、決して展覧会に出すことも、売ることもなく、自分にとって大切な人へ感謝の気持ちをこめて一枚一枚手渡したといいますが、それはまるで献灯の儀のような宗教的行為にも思えます。《蝋燭》は贈り物としての絵画であり、野十郎は贈る相手のことを思いながら、ひとつひとつ永遠に果てることのない光を刻み込んだのではないかと思われます。
蝋燭が何を照らしているのかは絵の中では示されませんが、だからこそ、この絵を見る私たちの心からも、その時々の状況によって、喜びや悲しみなど様々な感情が引き出され、心に穏やかな灯りがともったような気持ちになるのでしょう。《蝋燭》こそは、交錯する光と闇の表現を探究し続けた野十郎の真骨頂とも言える作品です。