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野十郎と仏教

「野十郎と仏教」

 野十郎の作品には、しばしば仏教への関心を感じさせるものがあります。なぜ野十郎が仏教に強い関心を持つようになったのか、その明確な理由は知られていませんが、兄・宇朗(うろう)からの感化は最初の大きな要因であったでしょう。青木繁や蒲原有明(かんばらありあけ)などと親交があり、詩人であった髙嶋宇朗(1878-1954)は、久留米の梅林寺に参禅し、後年は鎌倉の建長寺で得度しました。野十郎は宇朗の勧めで座禅を組んだといわれています。
 野十郎が、東京帝国大学で水産学を学んで卒業したのちに描いた《絡子(らくす)をかけたる自画像》や《りんごを手にした自画像》では、仏教の法衣である袈裟(けさ)を自らにまとわせています。自画像の真剣なまなざしから読み解けば、その姿は、絵を描くことと仏の道を歩むことを架橋するという困難な使命を、自ら引き受ける覚悟と自信を示しているようにも見えます。
 このように、初期の自画像からは禅宗への接近がうかがえますが、後年は、空海の『十住心論(じゅうじゅうしんろん)』をよりどころに、真言密教に親近感を覚えていたようです。四国や西国の霊場を参拝し、とくに埼玉県秩父の観音霊場にはしきりに通っていたとのこと。至るところに線を引きながら、書き込みをするほど読み込んだ跡がある『国訳大蔵経(こくやくだいぞうきょう)』も遺品として残っています。
 しかし野十郎は、寺院は描いても、観音や如来など、神仏そのものを描くことはありませんでした。花や果物、四季の自然風景、そして月や太陽、蝋燭(ろうそく)の向こう側にこそ、神仏の姿を見ようとしていたのかもしれません。一見すると何気ない絵であっても、野十郎の絵には私たちが気づかないような、彼自身の宗教観や含意が込められています。