昭和5年(1930)、野十郎は北米航路の船に乗り込み、ニューヨーク経由でヨーロッパへ船出した。アルブレヒト・デューラー(1478-1528)を敬愛していたことから、当初はドイツの古典絵画を勉強することを渡欧の目的としていたようであるが、活動の拠点に選んだのはフランスのパリであった。当時のパリといえば世界中から芸術家が集まる文化の中心地ともいえる場所で、野十郎と年代の近い日本人画家も多数留学していた。しかしながら、パリに集った芸術家たちと野十郎が交流したような形跡は全くなく、教会や美術館に足繁く通っては古典絵画を実見したり、さらにはフランスのみならず、スコットランド、ベルギー、オランダ、イタリアなどのヨーロッパ各地を巡遊し、そこで目にした風景の写生に取り組むことに専念していたようである。
ヨーロッパで数多くの風景画を描いた野十郎であるが、時間をかけて入念に描き込んでいた渡欧以前の画風と比べると、筆さばきも荒く、流れるような軽やかな筆致に変化している。各地を転々とするためか、短時間で仕上げる必要性があったのかもしれないが、見たことのない風景を前に、心躍るような気持ちで生き生きと絵を描く画家の姿を彷彿とさせる作品群である。また、野十郎はよく知られた歴史的建築や名所を描こうとはしなかった。むしろ、誰もまなざしを注がないような、どこにでもあるような鄙(ひな)びた田舎や農村、草原、道、裏街などを取り上げている。風景の中にはしばしば人物が点景として添えられ、それにより絵に温かみが加えられているのはなんとも微笑ましい。