野十郎は戦後から数年ののちに再度上京を果たし、戦前より住み慣れた都内の青山で暮らした。しかしながら、東京オリンピックの開催に向けた道路拡張工事により立ち退きを求められたことが契機となり、昭和36年(1961)に千葉県柏市に移り住むこととなった。雑木林が点在する静かな田園地帯であった柏という新たな場所を、野十郎は「パラダイス」と呼ぶほど気に入り、その晩年を静かに過ごした。
戦後期において、野十郎は実に様々な場所に出かけている。独身の気楽さもあり、奈良や京都、東北、信州、秩父や福岡などに、気の赴くまま頻繁に写生の旅に出かけ、そこで目にした様々な風景を絵にしたのであるが、ひとつの場所に⾧い時間滞在して、その地で得たあらゆる経験を絵に込めようとしたようだ。戦後期に展開された風景画は、いかなる細部も疎(おろそ)かにすることなく描き尽くされ、対象の全てに焦点を合わせたような独特の写実である。また風景画と同じく、静物画についても、対象の細部に執着しながら克明に描き尽くす端正な画風と、安定感のある構図が展開され、ここに野十郎の写実のスタイルがひとつの完成を見たといえる。あらゆる細部に等しく視線を向け、それを画布に定着させることを、仏教に関心を持っていた野十郎は、「慈悲」に連なる行為と考えていたようである。