児島善三郎・中村研一・中村琢二―修猷館が生んだ3つ星

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江戸時代の藩校にルーツを持つ福岡県立中学修猷館(現・福岡県立修猷館高等学校)は、吉田博、和田三造、安永良徳をはじめ、名だたる美術家を数多く輩出したことが知られています。ここでは、同時期に修猷館に学んだ児島善三郎、中村研一、中村琢二の3人の洋画家にスポットを当てます。若き日の彼らは、児島が明治42年(1909)に校内で設立した絵画同好会「パレット会」に集い、互いに切磋琢磨しながら、画家になることを夢見ました。そして卒業後、三者三様の独自の画業を開花させ、それぞれが画家として大成しました。修猷館の「パレット会」が生んだ3つ星たちの個性あふれる作品をご覧ください。

「西伊豆」

中村琢二

昭和62年(1987)、第49回一水会展

油彩・画布

58.7×115.5cm

中村琢二が90歳の時に手掛けた最晩年の作品で、手前にある燈籠と、波止場の向こうに見える西伊豆の海と街並み、そして小高い山とが、みずみずしく丸みのあるタッチで描かれています。彼は、自分のお気に入りの場所が、最も美しく、絵心を誘われる時期を選んでは訪れ、キャンバスに描きました。ここに描かれている西伊豆の海が見える風景は、彼がこよなく愛した場所のひとつでした。琢二は、自筆のエッセイのなかで「西伊豆の海岸の陽だまりなどで画を描いている時、私も画かきになってよかったとしみじみ思うことがあります」と述べています。この作品をじっと見つめていると、西伊豆の青い海を見つめながら絵筆をとる琢二の穏やかな表情が見えてくるようです。

中村琢二(なかむらたくじ・1897-1988)

中村研一の実弟として新潟県佐渡島に生まれる。のち福岡県宗像郡に移住。県立中学修猷館を経て、大正13年(1924)東京帝国大学(現・東京大学)を卒業。昭和3年(1928)帰国した兄の勧めで本格的に絵筆を握ることを決意。昭和5年安井曾太郎に師事し、同年から二科展に連続入選する。同17年一水会会員となり、戦後は日展にも出品を重ね、同会顧問となる。明快な色調と軽妙なタッチの親しみやすい風景画、人物画を得意とした。
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