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赤星孝と赤星信子
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戦後福岡の洋画壇を牽引した福岡出身の画家夫妻である赤星孝(1912-1983)と赤星信子(1914-2015)の作品を紹介します。ともに独立美術協会に所属し、「独立のおしどり夫婦」と呼ばれるほど、仲睦まじい生活をともにしながら制作に励んだふたりの作品は、一見すると対照的でありながら、どこか似通った部分もあります。互いに切磋琢磨しあいながら自らの画業を深めた画家夫妻の、豊かな作品世界をお楽しみください。
「婦人像」
赤星孝
昭和22年頃(c.1947)
油彩・画布
53.0×45.0㎝
本作は、結婚して間もない頃に妻の信子をモデルとして描いた作品です。本作に見られる顔貌の表現や、アラベスク模様のブラウスを着せている点でも、華やかな赤を画面全体の基調としながら、背景に花の模様を散らして平面的な空間を作り上げているという点から、明らかにアンリ・マチスを念頭に置いて描かれたことがわかります。マチスは、孝が所属していた独立美術協会の画家たちが非常に好んでいた作家で、マチスの作品を受容したフォーヴィスム風の作品が当時の画壇には数多くみられました。本作において孝は、信子の凛とした意志の強い表情を捉えて描いていますが、画家仲間でもありライバルでもあったふたりは、絵を描くことを通して戦後福岡の美術界の再建に尽力しました。
赤星孝(あかぼしたかし・1912-1983)
福岡県粕屋郡古賀町(現・古賀市)に生まれる。昭和7年(1932)武蔵野美術大学に入学。同15年第10回独立展で協会賞を受賞し、翌年には会友、同23年には会員に推挙される。終戦後帰郷し、同22年に上田宇三郎・宇治山哲平、久野大正、山田栄二らとともに「朱貌社」を結成し、同24年の福岡県美術協会再興に参加するなど、戦後福岡の美術界でも活躍した。同36年から38年にかけてと44年の二度渡欧し、パリ、南仏、イタリア、スペインなどを巡遊する。この時の地中海イビサ島訪問が後の活動に多大な影響を与え、白を主調とする幾何学的な構成の作品につながった。