筑後洋画の系譜

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福岡県は、日本近代洋画史に大きな足跡を刻む著名な洋画家を多数輩出していますが、なかでも久留米を中心とする筑後地区では、綺羅星のごとく多くの洋画家が生まれており、洋画王国とも呼ばれているほどです。ここでは青木繁、坂本繁二郎、古賀春江をはじめとする、筑後ゆかりの10人の洋画家の作品を紹介します。彼らのなかに脈々と受け継がれる、筑後洋画のDNAを感じてください。

「画室の二少女」

松本豊太

明治31年(1898)

油彩・画布

115.1×90.1cm

右奥には白い裸体の石膏像が置かれ、左にはイーゼルに立てかけられたキャンバスが配されたこの薄暗い場所はアトリエで、そこには油絵具の香りが漂っていることでしょう。着物をまとった少女が二人描かれていますが、左側の少女は大きなパレットを持ち絵を描いているようで、右側の少女はその様子を見守っているようです。制作途上のキャンバスには、彼女たちと同じ位置関係で二人の少女が描かれており、絵の中に「入れ子構造」が作り上げられています。女性が絵を描くという場面は、現在であれば何の不思議もない光景ですが、本作が描かれた明治30年代は、女性が油絵を学ぶのは非常にまれであったことから、この場面も実際の光景ではなくフィクションなのかもしれません。自らの故郷で美術教員を務め、多くの後進を育成した松本豊太は、この絵に女性が自由に絵を学ぶことができる世の中になってほしいという思いを込めようとしたのかもしれません。

松本豊太(まつもととよた・1874-1924)

福岡県久留米市に生まれる。号は松濤。明治25年(1892)県立中学明善校中退。同校在学中に森三美に洋画を学ぶ。上京し松岡寿に師事。後に帰郷し、福岡県立三潴中学校や私立南筑中学校の美術教員となる。同39年久留米の洋画研究団体「審美会」の名誉会員となり、大正2年(1913)「来目洋画会」にオブザーバーとして参加した。青木繁や坂本繁二郎に先立つ時代に、筑後洋画壇の基礎を担った一人。
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