筑後洋画の系譜

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福岡県は、日本近代洋画史に大きな足跡を刻む著名な洋画家を多数輩出していますが、なかでも久留米を中心とする筑後地区では、綺羅星のごとく多くの洋画家が生まれており、洋画王国とも呼ばれているほどです。ここでは青木繁、坂本繁二郎、古賀春江をはじめとする、筑後ゆかりの10人の洋画家の作品を紹介します。彼らのなかに脈々と受け継がれる、筑後洋画のDNAを感じてください。

「阿蘇山」

田崎廣助

制作年不詳

油彩・画布

65.0×91.2cm

本作は、「阿蘇の画家」と呼ばれた田崎廣助が、代名詞的な主題である阿蘇山を描いた作品です。画面の上半分に噴煙を立ち上らせる阿蘇山の威容を描き、下半分には山麓に広がる雄大な自然と、家々が点在する様子を捉えていますが、このように山を真正面から捉える構図が、画面に安定感をもたらしています。田崎は、16歳の頃に友人と行った旅行で初めて阿蘇山に出会い、心に強い憧れを抱きましたが、阿蘇山のあまりに壮大な姿に畏怖し、絵に描けなかったといいます。しかし50歳を越え、画業の円熟期を迎えた頃、満を持して阿蘇の山岳景に取り組むようになり、以後は数知れないほどの阿蘇の絵を手掛けました。

田崎廣助(たさきひろすけ・1898-1984)

福岡県八女郡北山村(現・八女市)に生まれる。県立八女中学を経て、大正6年(1917)福岡師範学校を卒業後、関西美術院に学び、坂本繁二郎、安井曾太郎に師事する。昭和7年(1932)から同10年にかけて滞欧し、この間、サロン・ドートンヌに出品する。同11年に一水会が創設され、翌年の第1回より出品、第2回展で一水会賞を受賞し、14年には同会会員となる。日展、現代美術展、日本国際美術展などにも出品し、四季折々の阿蘇山を描き続ける。42年日本芸術院会員となり、50年文化勲章を受賞。阿蘇の画家として知られる。
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