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筑後洋画の系譜
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福岡県は、日本近代洋画史に大きな足跡を刻む著名な洋画家を多数輩出していますが、なかでも久留米を中心とする筑後地区では、綺羅星のごとく多くの洋画家が生まれており、洋画王国とも呼ばれているほどです。ここでは青木繁、坂本繁二郎、古賀春江をはじめとする、筑後ゆかりの10人の洋画家の作品を紹介します。彼らのなかに脈々と受け継がれる、筑後洋画のDNAを感じてください。
「静物」
大内田茂士
昭和24年(1949)
油彩・画布
90.5×91.0cm
黒いサイドテーブルの上に赤い大きな格子柄の布がかけられ、その上に置かれた黒い花瓶には赤とオレンジの花が生けられており、赤と黒を反復に配すことでリズミカルな印象が加えられた静物画です。当初は、やわらかな光に包まれた空間を描くなど穏やかな静物画を手掛けていた大内田でしたが、この頃から存在感の強い黒色をだんだんと多用するようになっていきました。その黒色の象徴ともいえるのが、大内田自身が作った愛用の黒いサイドテーブルで、本作のみならず、この時期の他の絵にもしばしば登場します。本作では、堅牢で重厚な黒を引き立てる優しい赤を添えることで、画面に愛らしさが加わっています。
大内田茂士(おおうちだしげし・1913-1994)
福岡県朝倉郡大福村(現・朝倉市)に生まれる。県立朝倉中学を卒業後、浜哲雄、山喜多二郎太、高島野十郎らに指導を受ける。昭和12年(1937)上京、新宿絵画研究所で鈴木千久馬に師事。翌々年光風会展に初入選し、その後国展にも連続入選。戦後は日展に出品し、同26年に特選を、また国展でも同22年国画賞を受賞する。同23年からは国展を退き、示現会の創立会員となり同展に連続出品。同38年日展審査員となり、翌年会員、同53年評議員、平成元年理事に就任。示現会では昭和52年常務理事になる。同63年日本芸術院賞恩賜賞を受賞し、平成2年(1990)には日本芸術院会員に推された。