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赤星孝と赤星信子
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戦後福岡の洋画壇を牽引した福岡出身の画家夫妻である赤星孝(1912-1983)と赤星信子(1914-2015)の作品を紹介します。ともに独立美術協会に所属し、「独立のおしどり夫婦」と呼ばれるほど、仲睦まじい生活をともにしながら制作に励んだふたりの作品は、一見すると対照的でありながら、どこか似通った部分もあります。互いに切磋琢磨しあいながら自らの画業を深めた画家夫妻の、豊かな作品世界をお楽しみください。
「黎」
赤星信子
平成8年(1996)、第64回独立展
油彩・画布
193.5×161.4㎝
本作は、赤星信子が目にした朝焼けのイメージを抽象化した作品です。強烈な赤が画面の大半を占めていますが、それは朝の到来とともに、夜の闇をかき消していくかのようであり、赤い色のエネルギッシュな魅力に溢れています。「赤の赤星」とも呼ばれていた信子は、とくに晩年期に赤い色を全面に用いた抽象画を数多く手がけました。赤い色に喜びや悲しみなど、人間が持つ様々な感情を託そうとしたようです。80代を迎えたのちに手掛けた130号の大作である本作もそのひとつです。「赤は生命の色、だから赤い絵を描いていると自分の生命力もわいてくる」と語った通り、ほとばしるほどの強い情熱を感じさせる作品です。
赤星信子(あかぼしのぶこ・1914-2015)
中国の大連に生まれる。福岡女学校(現・福岡女学院)を経て上京し、昭和13年(1938)女子美術専門学校(現・女子美術大学)洋画師範科に入学するとともに、児島善三郎や林武のもとで画技を磨き、独立美術協会に出品を続け、同23年第16回独立展で独立賞を受賞、同31年準会員、同34年会員に推挙される。昭和20年に赤星孝と結婚し、孝とともに戦後福岡の美術界で活躍した。赤や桃色を全面に用いた情熱的で力強い抽象画で知られ、100歳で亡くなるまで、ほとんど毎年出品を重ねていた独立展において強烈な存在感を放った。